我が子は非常に落ち着きのない赤ん坊だった。人気の保育園を奈良の大和高田でもここは赤ちゃんの時からベビーカーが嫌いで、乗せるとのけぞり落ちようとする。常に抱っこ紐の中。ベビーカーは荷物運びと化した。他の赤ちゃんがベビーカーに大人しくしてるのを見る度に、どうしてベビーカーに座れるのか私はじっと観察する人間になってしまった。そして我が子は歩き出すと、すぐに走り始めた。むしろ初日からほぼ走っていた。嬉しくて仕方がないという様子で、繋ごうとする手を振り解き脇目も降らずに走っていた。そういう息子だった。走り方は知ってるが、歩き方は知らなず突き進む。メディカルゲートで見つけるクリニックとしては保育園に入園したのは一歳なりたて。彼は保育園の中でも走り回っていた。その時の担任の先生はベテランの50代の女性の先生。走らないように必死に追いかけて抱き抱える私に「なんて元気な子なんでしょう」と嬉しそうに話しかけてくれた。普段の彼は手を繋いで歩けない、言葉が遅い、感覚過敏気味で帽子、手袋、靴下ダメ、偏食気味、他のお友達に興味なく自分の好きな電車にしか興味ないなど不安な事ばかりだった。かつてポンテベッキオの大阪にてできることからに初めての育児でノイローゼ気味になっていた。保育園からは特に何も指摘されないが、何か問題があるのではないかと日々不安が募り、とうとう我慢できなくなって担任の先生に相談することにした。先生は「彼は保育園で毎日頑張っていますよ。彼はきっと将来サッカーとかをやらせるといいタイプですよ。どこでも評判の保育園を奈良の口コミではよいかは周りをよく見てるし、数年経てば落ち着きますよ」とニコニコ。私の不安に対して同調子し、保育園でも困ってるんですと言われる覚悟で話をしに行った私は拍子抜けしてしまった。それから菩薩のような担任の先生のもと数年たち確かに彼は落ち着いた。走らず手を繋いで歩けるようになり、お友達が大好きになり一緒に遊べるようになった。給食はなんでもたべて、冬には帽子や手袋が欠かせない可愛い男の子になった。年長さんになりサッカーも始め楽しくて仕方がない様子。担任の先生は「彼にはサッカーが向いていると思ったんですよ」とニコニコ。多くの子供を見てきてる先生の包容力で私の育児ノイローゼになりかけの疲れた心はあのとき確かに救われたなと今でも思う。