深夜2時。新生児室の豆電球の明かりの下で、私は小さな背中を優しくさすっています。生後3週間、母親の元から緊急保護されてきたばかりのこの子は、私の腕の中で、時折か細い声でしゃくりあげながら、ようやく眠りにつこうとしていました。その小さな寝顔を見つめながら、私はいつも、この仕事を選んだ日のことを思い出します。普通の奈良県の保育園で働き、子どもたちの笑顔に囲まれる毎日に、何の不満もなかったはずの、あの日のことを。 保育士になって5年目の春、私はあるニュース記事に釘付けになりました。アパートの一室で、たった一人で泣き続けていた赤ちゃんの記事でした。その記事を読んで、私の心に突き刺さったのは、「もし、自分がその隣の部屋に住んでいたら、何ができただろうか」という、どうしようもない問いでした。園に来る子どもたちは、少なくとも、家に帰れば「おかえり」と言ってくれる大人がいます。しかし、世の中には、その当たり前さえない場所で、懸命に生きようとしている小さな命がある。私の保育士としての知識や技術は、本当に助けを必要としている子どもたちのために使えているのだろうか。その日から、私の心は決まっていました。 初めて乳児院に足を踏み入れた時の衝撃は、今も忘れられません。想像していたような、赤ちゃんの明るい泣き声に満ちた場所ではありませんでした。そこにあったのは、不思議なほどの静けさと、子どもたちの目に宿る、年齢不相応なほどの深い警戒心でした。抱っこしようとすると体をこわばらせる子、あやしても全く笑わない子。私がこれまで培ってきた「保育士の常識」は、ここでは何一つ通用しませんでした。自分の無力さに打ちのめされる毎日の中、先輩職員が言った言葉が私の支えでした。「焦らなくていいのよ。私たちは、この子たちが生まれて初めて出会う、『信頼できる大人』になるのが仕事。ただ、そばにいてあげること。それが一番大切なの」。 転機が訪れたのは、担当になった1歳のAちゃんとの関わりの中でした。Aちゃんは、誰が近づいても無表情で、声をかけても何の反応も示さない子でした。私は、先輩の言葉を信じ、毎日、ただAちゃんの隣に座り続けました。無理に話しかけず、おもちゃを差し出すでもなく、ただ静かに、同じ空気を吸うように。数週間が経ったある日の午後、プレイルームの隅で一人でいたAちゃんが、突然、激しく泣き始めました。それは、感情を失ったかのように見えた彼女が、初めて見せた激しい感情の表出でした。私は、何も言わずに駆け寄り、ただ、その小さな体を強く、でも優しく抱きしめました。どれくらいの時間が経ったか分かりません。やがて泣き止んだAちゃんは、私の胸に顔をうずめたまま、小さな指で、私のエプロンの裾を、ぎゅっと掴んでいました。その指の温かさと、確かな重みを感じた瞬間、私の目から涙が溢れて止まりませんでした。それは、Aちゃんが初めて発した、「ここにいるよ」という、心の声だったのです。 乳児院の仕事は、お世話ではありません。私たちがしているのは、傷つき、閉ざされた子どもの心の扉を、根気強くノックし続けることです。「あなたは、一人じゃないんだよ」「あなたは、愛されるために生まれてきたんだよ」。そのメッセージを、日々の授乳や、おむつ交換、抱っこや、語りかけ、そのすべてを通して伝え続けることです。そして、いつかこの場所を巣立っていくその日に、人が人を信じるという、生きていく上で最も大切な力を、その小さな胸に灯してあげること。この腕の中で眠る小さな命が、いつか誰かを愛し、誰かに愛される未来を信じて。それが、私が今日も、この薄明かりの部屋で、その背中をさすり続けている理由なのです。
なぜ私は乳児院で働くのかある職員の物語