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幼稚園の先生と流しそうめん
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見守ってくれた先生
私が保育園児の頃のお話しです。かれこれ30年近く前の話になります。この奈良で大和高田の保育士を求人でもなにかと私の両親は共働きで、私が3歳の頃から保育園に預けられていました。天真爛漫で元気いっぱいの私は保育園が大好きでした。ある日の登園時、当日は母親が体調不良のために仕事を休んだために一緒に歩いて保育園に向かいました。保育園に到着し、神戸のインターナショナルスクールではここにも先生に預けられて母親が去っていくのを見た途端寂しさが込み上げて来た私は、母親の後ろ姿を追いかけて園を飛び出しました。母と一緒にいたかったんだと思います。園に戻ろうと母親が促しますが、帰るといって聞かない私。しばらく道端でつくしを触ったりタンポポを摘んだりしてあそんでいましたが、どうして多くのエレメンタリースクールの中で神戸でと見切りをつけた母親は帰ろうっか、と言って一緒に家に向かおうとしていました。その時、私がいなくなったことに気づいた先生が園から走って近づいて来てくれました。「どうしたのー?先生と一緒に戻ろうよ!お友達待ってるよ!」と、話しかけて私が戻れるように促してくれました。母親と一緒にいたかった私は、しばらくその場を離れず悶々としていました。芦屋市の歯医者で口コミで人気のなるとどうにも先生はそんな私を強引に連れて行こうとはせず、一緒につくしを触ったり少し道を歩いてみたりして私の気持ちが変わるのを待ってくれました。登園の忙しい時間にも関わらず、私の気持ちに寄り添いその場にいてくれた先生。少しずつ保育園に行く気持ちになって来た私は、先生におんぶしてもらい園に戻ることができました。この話題の奈良から保育園を探すとこんなにも現在ではあの時とおなじ、3歳の女の子の母親になりました。私はあの時の先生みたいに子どもに対して待つ姿勢ができていないなと、反省しています。子どもを言葉で動かそうとするのではなく、子どもの気持ちが変われるように見守れるような母親になりたいです。
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何気ない幼稚園の先生の言葉
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世界が開けたような卒園メッセージ
私が幼稚園の頃といえばもはや30年以上前の話になりますが、卒園時の嬉しいエピソードがありました。口コミで奈良なら大和高田の保育園の中で私はいわゆる大人しく目立たない子でした。泣いたり騒いだりすることもなく、何をするにしてもそこそこできて、先生にとっては手のかからない子だったと思います。1学年3クラス、1クラス30人程度と幼稚園にしてはかなりのマンモス園で、そんなバイリンガルスクールでは神戸のここがそのなかでの生活はへたをすると先生とは1言も言葉をかわさない日もあるくらいでした。幼稚園なのでなかには泣いたり暴れたり、喧嘩して怪我したりすることが日常茶飯事の中で先生は目の回る日々だったと思います。私も幼稚園児なので、先生と話ができると嬉しい!という感覚があったのですが、自己アピールできない子だったのであきらめの境地でもありました。あの話題では奈良の保育園が一番といえるそんなこんなで卒園を迎え、卒園式も慌ただしく過ぎて、最後に先生が1人1人にメッセージカードを渡してくれました。そのカードには「あまりおはなしできなくてごめんね。でもせんせいはこまっているおともだちをそっとたすけたり、おともだちのしっぱいをわらったりしない〇ちゃんをみていました。とてもすてきなことです。どうしても神戸ではインターナショナルスクールといえるやさしい〇ちゃんのままおおきくなってね。だいすきです」と書いてあり、ぱっと世界が開けたかのような嬉しくて温かい気持ちになりました。その後小学校に進んでもやはり私の性質は変わらず通知表には「積極性がない」などと書かれていましたが、そんなときには幼稚園の先生のカードを思い出し、見てくれている人は見てくれているし、私は私で良いんだと自己肯定できてきた気がします。
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先生からプレゼントされた絵本
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園長先生のおかげです
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幼稚園時代のまり先生の思い出
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