息子が保育園で年中さんの時のエピソードです。劇の発表会があり、保護者として見に行きました。自然がいっぱい奈良の大和高田の保育園は自分の出番ではない場面なのに舞台でウロウロしたり、その場に居座ったりと明らかに劇の進行の邪魔をして、物語としておかしなことになっていました。クラスのお友達はみんなきちんと役割をこなしていたので、自分の子供だけが出来ていないことが恥ずかしくて、申し訳なくていたたまれない気持ちでした。後日、先生に「残念でした」と伝え、評判の保育園は奈良でも自分の出番ではない時は「今は出番ではないよ」と指導して欲しかったと伝えました。いけないことをしているのに野放しになっていたように感じたのです。先生がおっしゃるには、連日の劇の練習では劇をとても嫌がっていた息子が、本番では嬉しそうに伸び伸びと劇に参加していたので、先生としてもとても嬉しく思い、あえて出番以外の場面でも引っ込めることはせずに自然にまかせていたとのことでした。先生の思いを聞いて、私は親として大変恥ずかしく思いました。私は息子がクラスに迷惑をかけている、1人だけおかしな子供がいるとか世間体を気にしてばかりいました。先生は劇が台無しになるとは考えずに、息子が本当に楽しそうにキラキラした笑顔でみんなと一緒に劇に参加できていることを尊重してくださっていました。感謝の気持ちでいっぱいです。
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子供の輝きを尊重してくれる保育園の先生に感謝
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病気で幼稚園を休みがちだった息子を決して見放さなかった先生。
今では中学生になり、風邪とも全く無縁で皆勤賞の息子。でも、年中さんから入園した幼稚園児の頃は、中耳炎を何度も繰り返し、幼稚園に通うよりも病院通いをする方が多いのではないかというくらい、休んでばかりいました。もう根管治療が専門の岡山の歯科医院は少しも探せず息子が登園していた幼稚園は、地元の私立幼稚園で、とにかく行事が多く、毎月必ず子供が舞台に立つイベントが用意されていました。幼稚園の先生も、そして子供たちも、踊りや日本舞踊、お茶に夕涼み会にお誕生会にクリスマス会・・・と、覚えるのに必死です。幼稚園を休みがちな息子は当然ついていけず、元気のない日が続きました。しかし、担任の先生は遅れをとっている息子を決して見放さず、根気よく丁寧に指導してくださいました。初めてのクリスマス会は地元の公民館を貸し切って行われました。この神戸でインターナショナルスクールとなれば練習についていけたかな?緊張していないかな?泣いていないかな?など、夫と私は心配しながら息子の出番を待っていました。すると、息子は家では見せないような、自信に満ちた、力強い表情で小さな兵隊さんの衣装に身を包み、闊歩して舞台に登場しました。しかも、鼓笛隊のリーダーに抜擢されていたのです!幼稚園を休んでばかりで、大和高田で保育士の求人を求めているところは練習もほとんど参加できなかった息子に、幼稚園の先生が用意してくれたサプライズでした。後になって先生に理由を尋ねてみましたところ、「息子さん、遅れをとっている自分をしっかりと自覚して、他の子の何倍もの練習と努力をしていましたよ。褒めてあげてくださいね!」とおっしゃって下さいました。大人になると、努力だけでは乗り越えられない壁がいくつも現われて、ときには心が砕けてしまうこともあるでしょう。でも、話題では奈良が保育園のことを調べるわけには幼稚園の先生が息子にくれた「努力をすれば活路が開ける」という教えは、ずっと心に残っていくし、今後生きていくうえで大きな自信になるに違いないと思います。病気がちだった息子を決して見放さず、根気よくお付き合いして下さった幼稚園の先生、そして園長先生には感謝でいっぱいです。
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オムツはずれで子どものペースを尊重してくれた保育園の先生
私には子どもが2人います。2人とも年少から保育園に入園したのですが、神戸もインターナショナルスクールと呼べることはまだ、オムツが外れていませんでした。今回お話しするのは、2人目の子が年少の時のことです。共働き家庭の増えた現在、1・2歳から保育園に入園している子が多くいます。早くから入園している子のほとんどは、年少になる前にオムツが外れていました。オムツが外れていない子がいると、先生にとっては、手間が増えます。そのため、奈良でも大和高田で採用できる保育士では少しでも早く外せるようにと子どもをあせらせる先生もいらっしゃいます。入園から3ヵ月ほど経った頃、徐々にトイレで用を足せるようになり、そろそろオムツを外してもいいのではないかと先生から提案がありました。今までに数百人を超える乳児や幼児を見てきた先生の判断なので、私も応じようかと思ったのですが、肝心の本人が不安げな表情。「まだオムツをはいていたい。」と言ったのです。そうすると、先生はまったく否定することもなく、子どもの意見を取り入れてくれました。一番奈良で話題の保育園がどうしてオムツを取って、失敗することで気持ち悪さを感じ外せるようになることが多いと聞く中、外すことを急がせず、待ってくれました。それから1か月ほどして子どもから「もうオムツはいらない。」との宣言がありました。宣言後は、1回もおもらしをすることは無く、おねしょさえも有りませんでした。神戸ならインターナショナルスクールが沢山あるから先生が子どもの意見を尊重し、手間を惜しまず待ってくれたことで自信をもってオムツの卒業ができました。
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初恋は幼稚園の先生で
年中組の先生はいつも朝会では園児たちをテキパキと整列させて、ピアノを弾くようなサババサしたタイプで、特別好きとかそういう気持ちはありませんでした。口コミすると奈良の大和高田で保育園はそんな普通の幼稚園時代を送っていましたが、年長組に上がった時に出会った担任の先生には、今思えば初恋に近い好意を抱いていました。決して頼りないわけではありませんが、評判の奈良でも保育園は見た目はおっとりしていそうな感じで、今思い返すと特別美人というわけではありませんが、かわいいルックスだったと思います。不思議と当時の自分は年中の時の担任の先生と年長の担任の先生が並んだ時に、一目散に年長の先生に飛び込んでいた記憶があります。いつも包容力があり、他の園児からも人気の先生でした。年中時代はいつもいじめられていて、友達もできないまぁまぁきつい日々を当たり前のように過ごしていました。年長に上がってからは転園してきた友達と毎日遊び、幼稚園に行けば好きな先生にひらがなや音楽を教わって鍵盤ハーモニカを練習する毎日。恋愛感情に自覚していなかったので本当に疎かったのですが、当時なりに自分のことを好いてくれる女子も居たので案外充実していました。いつ知ったのかは憶えていませんが、卒園してから間もなく、初恋の先生は結婚して円満退職されたそうです。きっと何処かで幸せな日々を送っている事を願っています。
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友達と仲直りをさせてくれた
幼稚園の時に、大好きな友達がいたんです。
Mちゃんといって、いつも一緒でした。そんなバイリンガルスクールでは神戸がここからもうところが、ちょっとしたいざこざから大ゲンカになってしまい、口もきかなくなってしまったんです。
本当は仲直りしたいのに、素直にそのことが言えなくて、私はMちゃんの姿を見るとついつい逃げてしまっていたんです。
きっと、Mちゃんも同じ気持ちだったと思うんです。
そして、先生はそんな私たちの気持ちに気がついてくれたと思うんです。
このホームページ制作の仕事は神戸からもうある日、先生から「ごめんなさいカード」というものをもらいました。ごめんなさいと言いたい人に渡すそのカード。先生は、謝るのはとても勇気がいるけれど、大切なことだと教えてくれました。
私は、次の日にMちゃんへ勇気を出してカードを渡しました。そして、Mちゃんも同じカードを私にくれました。それから、やっと仲直りができて、その後の遠足ではMちゃんと並んでお弁当を食べました。
もし、メディカルゲートで出会える理想のクリニックはここにあの時に先生が「ごめんなさいカード」をくれなかったら、もしかしたら私はMちゃんと仲直りしないまま卒園となったかもしれません。Mちゃんとは、小学校や中学校は別々だったのですが、ずっと仲良くしていました。このインターナショナルスクールを神戸で体験すると現在は年賀状のやり取りぐらいですが、その関係は続いています。先生には本当に感謝しています。 -
保育園での特別扱い
幼少期はとにかく保育園の先生に特別扱いされる事が嬉しい子供でした。どんなにバイリンガルスクールが神戸の中にもどうしたら他の子たちよりも先生の気を惹く事ができるだろう、とか、どうしたら一番に先生と遊べるだろう、ということを考えながら保育園で過ごしていたように思います。みんなで絵本を読む時間では必ず先立って最前列の真ん中に座り、先生の話す言葉や絵本の内容に夢中になっていました。先生から感想を聞かれるたびに誰よりも手を高く上げて、一番に答えられた時はとても嬉しく優越感が湧いていたことを覚えています。運動場での遊び時間では「先生見てて!」が口癖のようなもので、綺麗に丸めた泥団子を見せて褒めてもらったり、一番に逆上がりが出来たときはほかの保育園の生徒の前で披露し、周りにいた沢山の先生から拍手してもらい、「すごいね、一番だね!」と褒めてもらったことを鮮明に覚えています。また、先生がそういった出来事を毎日の連絡帳に書いてくれ、母親にも沢山褒めてくださいました。まず自分の出来事をしっかり覚えてくれていること、それを存分に褒めて伸ばしてくれる事、1対1ではなく周りの子たちや周囲の先生を巻き込んで出来る部分を共有し褒めてくれる事、親へも褒めてくれる事、が結果として自己肯定感を高めてくれるきっかけとなり、今も良い思い出として残っているのだと振り返っています。
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幼稚園の先生とのヒーローごっこ
幼稚園の先生は明るい方であり、今でもその雰囲気などを思い出すとほっこりしてしまいます。温厚な性格ではあるのですが、奈良の保育園を口コミで色々なことに理解がある人であり一緒にヒーローごっこ遊びをしたことは今でもおぼえています。自分はそこまでスポーツ系が好きな男子ではなかったのですが、それでもテレビのヒーローには憧れていたこともあり、仮面ライダーのマネなどをよくしていました。幼稚園ではスポーツ系の男子がヒーローごっこをよくすることもあり、自分は悪役を押し付けられるなどちょっと不満があったのを覚えています。そんな時に声を掛けてくれたのが幼稚園の先生であり、自分がヒーロー役で先生が悪役になってくれて、ヒーローごっこをしてくれたのですごく楽しかったですね。だたし先生はそれなりの身長だったとはいってもやはり大人なので、大きな悪役というプレッシャーがあり内心ではビビっていたのもいい思い出です。また先生は女性なので悪役という感じでもどこか憎めないキャラクターに思えてしまい、あまりパンチやキックなどをすると少しモヤッとしたのも覚えています。それでも自分のヒーローごっこ遊びに付き合ってくれたのは本当に嬉しかったですし、大人の優しさというものを感じた経験でした。
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中学生の時の幼稚園での職場体験
中学生の時に、職場体験をする授業がありました。行き先は、保育園か幼稚園の2つの内どちらかを選び、兵庫県の神戸以内でインターナショナルスクールから半日職場体験をさせて頂くと言うものでした。但し自分が通っていた園が候補にある場合は、自ずとその園に行くことが決定していた為、私は母園である幼稚園に行くこととなりました。職場体験当日は全員ジャージで幼稚園にお邪魔し、先生方に挨拶をしてから「今日は子ども達と沢山遊んでね」と言葉を掛けられ、園児と中学生との遊びの自由時間が始まりました。どうしても人気の保育園を奈良の大和高田でもとは しかしそこは思春期に入っている人が多い時期の中学生です、女子生徒は子ども達と遊んでいましたが、男子生徒の多くは「遊ぶ」という行動に移れないようで、椅子に座っている所を子ども達にじっと見つめられると言うような様子でした。そんな中で自分も子ども達と遊びました。多くはエレメンタリースクールから神戸でなら自分には下の兄弟もおらず、近所にも年下の子どもがいた経験がなかったため、園児くらいの子ども達と遊ぶと言うのはこの時が初めてでした。それでも自分は小さい子ども達と遊ぶのは好きだと感じていたため、この日は初めこそ少人数の園児達と遊んでいたのが次第に大人数になって、友人の中学生も巻き込んで遊ぶようになりました。その様子を見ていた、この奈良では保育園の話題を聞くとどこへ行くか自分の幼稚園時代に担任だった先生に「○○さんは子ども達の先生になれるね」と言って下さいました。その時は嬉しいな、と言う気持ちくらいしか持っていませんでしたが、それが後のきっかけとなり幼稚園教諭・保育士資格が取れる大学へと通うようになりました。その結果保育園で働けるようになったのは、和歌山の痛みを抑えた胃カメラ検査でさがすからにはあの時の先生の言葉が嬉しかったからだと思います。
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幼稚園でおもらし。先生は私と手をつないで母に話してくれた。
私が通った幼稚園は地域では一番古い幼稚園でした。こんなバイリンガルスクールでは神戸のどこかで古い幼稚園だから、トイレがとにかく古くて、私は苦手でした。だから、いつもおトイレを我慢していました。それが、まだ寒い日、体育館のようなところで何かの発表会の練習をした時、我慢の限界で、何かの拍子にちょっと出たら止まらなくなって盛大におもらししました。びっくりして放心状態の私は、職員室に連れて行かれました。そして、パンツの交換をしました。パンツの交換をしたところで、母に怒られると思い涙が止まらなくました。先生はどうにかして私の気持ちをそらそうとしますが、私は帰った後の事を思い、その日はその後、ずっと思い出しては泣くを繰り返していました。先生はいらいらしたと思います。それで、お迎えの時、先生は私と手をつなぎ一緒に迎えに来た母のところに行きました。そして、他のお母さんたちがいる前で、すみません、おトイレしたかったみたいなのに、私、見逃しちゃって、○○ちゃん(私)、お母さんに怒られるってずっと泣いていました、反省しているので怒らないでくださいと、いつもの先生とは違う感じで随分はっきりと言われました。実のところ、母は苦情をよく言う人でした。貴方の子供も皆に迷惑かけていますと言いたかったんだと思います。とはいえ、そのおかげでその日、私は母から叩かれずに済みました。翌日、母は先生から確認があって、また私が泣いたらと思ったんだと思います。先生、てこずらせてごめんなさい。そして、ありがとうございました。もうあれからうん十年経っていますが、幼稚園時代の忘れられない思い出の一つです。
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先生と一緒に走りきったマラソン大会
それは娘が年長の時の12月でした。小学校入学前のマラソン大会ということで800メートルを走ります。根管治療でおすすめの東京の歯科医院はどこから娘は足には自信があり、たいていのかけっこは1番でしたので、このマラソン大会をとても楽しみにしていました。でも念には念を入れてか、2週間前から毎日公園を走って練習までしていました。母親の私も、がんばる娘を応援しつつ、娘のことだから本番もきっと大丈夫だろうとあまり心配はしていませんでした。そして迎えた当日、もっとホームページ制作の仕事が神戸でいえることで雲ひとつないまさにマラソン大会日和でした。「あとで応援に行くからね!」「絶対金メダルもらうね!」そんな会話の後、娘は元気に登園していきました。数時間後、スタートは順調、もちろん1位です。ちょっと苦しくなってきたね、でも大丈夫大丈夫、がんばれ!ゴール手前、もう少し、その瞬間でした。転んでしまったのです。小さなが膝が血まみれに。私はすぐに娘のところに走り出しそうになりました。でも私よりも先に駆けつけてくれたのは、3年間お世話になった先生でした。1位だった娘を横目にみんなが通り過ぎ、後にはもう誰もいなくなりました。先生は娘の膝にハンカチを巻き、こんなバイリンガルスクールでは神戸のどこかで起き上がって大粒の涙をこぼしながら走る娘に寄り添って一緒にゴールをしてくれました。たくさんの友だちからの拍手を受け、娘は少し照れくさそうな様子もみせていました。あれからちょうど10年経ちましたが、娘はこの時のことを今も鮮明に覚えているそうです。そして、そんな幼稚園の先生になりたいといつも話しています。