自分でも出来た保育園学習方法

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  • 幼稚園でおもらし。先生は私と手をつないで母に話してくれた。

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    私が通った幼稚園は地域では一番古い幼稚園でした。こんなバイリンガルスクールでは神戸のどこかで古い幼稚園だから、トイレがとにかく古くて、私は苦手でした。だから、いつもおトイレを我慢していました。それが、まだ寒い日、体育館のようなところで何かの発表会の練習をした時、我慢の限界で、何かの拍子にちょっと出たら止まらなくなって盛大におもらししました。びっくりして放心状態の私は、職員室に連れて行かれました。そして、パンツの交換をしました。パンツの交換をしたところで、母に怒られると思い涙が止まらなくました。先生はどうにかして私の気持ちをそらそうとしますが、私は帰った後の事を思い、その日はその後、ずっと思い出しては泣くを繰り返していました。先生はいらいらしたと思います。それで、お迎えの時、先生は私と手をつなぎ一緒に迎えに来た母のところに行きました。そして、他のお母さんたちがいる前で、すみません、おトイレしたかったみたいなのに、私、見逃しちゃって、○○ちゃん(私)、お母さんに怒られるってずっと泣いていました、反省しているので怒らないでくださいと、いつもの先生とは違う感じで随分はっきりと言われました。実のところ、母は苦情をよく言う人でした。貴方の子供も皆に迷惑かけていますと言いたかったんだと思います。とはいえ、そのおかげでその日、私は母から叩かれずに済みました。翌日、母は先生から確認があって、また私が泣いたらと思ったんだと思います。先生、てこずらせてごめんなさい。そして、ありがとうございました。もうあれからうん十年経っていますが、幼稚園時代の忘れられない思い出の一つです。

  • 先生と一緒に走りきったマラソン大会

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    それは娘が年長の時の12月でした。小学校入学前のマラソン大会ということで800メートルを走ります。根管治療でおすすめの東京の歯科医院はどこから娘は足には自信があり、たいていのかけっこは1番でしたので、このマラソン大会をとても楽しみにしていました。でも念には念を入れてか、2週間前から毎日公園を走って練習までしていました。母親の私も、がんばる娘を応援しつつ、娘のことだから本番もきっと大丈夫だろうとあまり心配はしていませんでした。そして迎えた当日、もっとホームページ制作の仕事が神戸でいえることで雲ひとつないまさにマラソン大会日和でした。「あとで応援に行くからね!」「絶対金メダルもらうね!」そんな会話の後、娘は元気に登園していきました。数時間後、スタートは順調、もちろん1位です。ちょっと苦しくなってきたね、でも大丈夫大丈夫、がんばれ!ゴール手前、もう少し、その瞬間でした。転んでしまったのです。小さなが膝が血まみれに。私はすぐに娘のところに走り出しそうになりました。でも私よりも先に駆けつけてくれたのは、3年間お世話になった先生でした。1位だった娘を横目にみんなが通り過ぎ、後にはもう誰もいなくなりました。先生は娘の膝にハンカチを巻き、こんなバイリンガルスクールでは神戸のどこかで起き上がって大粒の涙をこぼしながら走る娘に寄り添って一緒にゴールをしてくれました。たくさんの友だちからの拍手を受け、娘は少し照れくさそうな様子もみせていました。あれからちょうど10年経ちましたが、娘はこの時のことを今も鮮明に覚えているそうです。そして、そんな幼稚園の先生になりたいといつも話しています。

  • 子供目線で考えてくれる先生

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    年少のときに子供の担任だった先生は、とにかく子供目線で考えてくれる先生でした。多くのエレメンタリースクールの中で神戸ではとほんの些細なことでも、その子が初めてできたことならオーバーなくらいに褒めてくれました。うちの子はなかなか靴下を一人で履けなかったのですが(他の子は履けていました)、いつも頑張れ頑張れと応援してくれて、履けたときには、子供をギューと抱きしめてくれて且つハイタッチもして喜んでくれました。この奈良の大和高田でも保育士を求めるにはここの子供が引き続き頑張れるように、いつも声掛けをしてくれました。子供は相当嬉しかったらしく、あれから3年経ちますが、靴下を履くときに今でも、昔〇〇先生が褒めてくれたよね、と話してくれます。そんな先生は、常に子供と全力で向き合ってくれたので、とにかく子供からも大人気でしたし、保護者からも大人気でした。というのも、子供の行動を常によく見ていてくれたので、話題の保育園を奈良で見つけようとするとお迎えのときに必ずその日にあったことを、どんな小さなことも、必ず話してくれました。年少という年齢では、うまくその日にあったことを説明できないため、先生の報告が親としてとても嬉しかったし、毎日の励みにもなりました。しかも、たとえ、子供が先生を困らすようなことをしていたとしても、決して保護者には悪くは言わず、保護者がプラスに捉えるような報告をしてくれました。だから、保護者はみんな先生と話すことが大好きでした。我が子も今は小学生です。あのとき、素敵な先生に出会えたことに感謝します。

  • 保育園の先生との触れ合い

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    春になり保育園、幼稚園は入園や進級のシーズンですね。多くのエレメンタリースクールの中で神戸から新しい環境に身を置く子供たちは勿論のこと、子供を預ける親御さんたちも楽しみな反面不安もいっぱいだと思います。私も娘が1歳2カ月のときに保育園に預けました。生まれてからほとんどの時間を共に過ごしていた我が子を、保育士とはいえ他人に預けることに不安や寂しさもいっぱいでした。「ちゃんと大切に扱ってくれるかな」「悲しい思いをしないかな」など心配したらキリがない。怒涛のように慣らし保育が始まり、娘の泣き声に後ろ髪を引かれながら保育園を後にする日々。神戸で麻酔を使った胃カメラ検査を行うにはここでけれど親の心配より先に子供は順応していくもので、朝は大泣きして別れても迎えにいくとけろっとした顔。先生は迎えに来た私を見ると「お母さん、〇〇ちゃん切り替え早いですねぇ。朝、お母さんの姿が見えなくなると諦めついたみたいに泣き止んで、一人でブロックで遊びはじめましたよ!」と。笑いながら伝えてくれる内容に安心する反面、親以上に子供はずっと環境に適応する生き物だとつくづく思いました。その後も私の不安なんてなんのその。子供は先生と二人三脚でぐんぐん成長していきます。不思議と保育園ではとっても聞き分けがいいらしい我が子。でもある日、お友達とおもちゃの取り合いになったとき、先生に見つかるといつもは身を退く娘がその日は一歩も退かずおもちゃを奪取しに行ったそうです。それを見て先生は「〇〇ちゃんがあんなに我を出すなんて珍しい!〇〇ちゃん頑張れ!」と思ったそうな。その話をきいて、あぁ先生はちゃんと子供の性格や特性を見てくれているんだな。それを妨げず、見守ってくれているんだなと安心したのを覚えています。入園や進級で新しい先生との出会いが多いでしょうが、毎日子供に寄り添ってくれる先生は親が思っている以上に子供のよき理解者になってくれます。育児は親だけがするのではない。信頼を築いていきながら、安心して先生に預けてみれば子供はきっと成長してくれます。

  • 保育園で先生との特別な時間

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    私は保育園の時にお昼寝ができない子でした。この神戸でインターナショナルスクールとなると2年通いましたが、最初から寝れなくてしょうがないのでゴロゴロしていました。遊べるわけでもないので退屈だし、時間はぜんぜん進まなくて時には悲しくなったりしてだいたいメソメソ泣いて過ごしました。みかねた先生が「みんなが寝てるから静かにしてなくちゃいけないけど、先生のお手伝いする?」と声をかけてくれました。口コミで奈良の保育園を抑えるというのはとてもそれからお昼寝時間は先生の横でお手伝いをすることになりました。先生がスタンプを押してメッセージを書いた連絡帳を揃えてカゴに入れたり、シールを人数分数えて準備したり、そんなに役立っていたわけではないと思いますが、神戸ではインターナショナルスクールを巡るには先生に「今日もありがとう」と言われることがすごく嬉しくて、お昼寝の時間が特別の時間に変わりました!お昼寝時間にできるお仕事ごっこは先生を独占できるし、みんなが寝てる間にみんなのための準備ができるという優越感もあったと思います。口コミで奈良なら大和高田の保育園がここでたまには数日後にするであろう工作の準備やお遊戯の衣装の準備があり、それこそ横で見てるだけでワクワクするものでした!調子に乗って口出ししたりもしてたかもしれませんが、怒られたりすることなく一員として扱ってくれるような本当に優しい先生でした。今でも忘れられない特別な時間です。

  • 保育士さんのおかげで楽しく運動を出来た

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    保育士さんとの楽しい思い出はいっぱいあるのですが、もうエレメンタリースクールの中で神戸から選んでも特に楽しかったこととして覚えているのが保育園内で運動会をしたことです。保育園では定期的に運動会があるのですが、みんなで走ったりして遊ぶことはとても楽しかったです。保育士さんもいっしょに運動してくれたことが印象的でした。今思い返すと私が通っていたところにいた保育士さんは伸び伸びと成長できるように考えてくれていたと感じます。単に世話をするのではなくて、心と身体がしっかりと成長できるように気を配ってくれていた保育士さんには感謝しかないです。やさしい保育士さんだったので、会うのを楽しみにしていました。口コミから奈良で保育園が見つかるにはどこにでも保育士さんがいつも見守っていてくださったから思いっきり運動をできました。もちろん保育園で何でもしていいのではなくて、何をしたらいけないのかを言ってくれたので危険なことは起きなかったです。運動をしたあとでぐっすり昼寝をできたのも保育士さんがいつも側にいてくれたからです。保育園の庭でお祭りのようなことをしたことがあったのですが、保育士さんといっしょに踊ったことは一生忘れられない出来事になりました。七夕などイベントが多くあった保育園だったのですが、評判になっている大和高田の保育園はここからでも面白くて優しさのある保育士さんが盛り上げてくれたからいつまでも忘れられない思い出になっているのだと実感しています。

  • 幼稚園の先生のきめ細やかさに感動!

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    私の娘が通っている幼稚園での話です。
    娘は年少さんで、奈良では保育園の話題を聞くとどこかではきっと今、自分の中でお手紙ブームがきています。家にあるメモ帳や折り紙の裏、時にはちらしの裏などにも「〇〇ちゃん、だいすき」などと書いて、翌日、幼稚園に持っていき、お友達に渡してきます。お返事が来ることもあれば、全国のおすすめ歯科医院のことはきっとお返事がないこともありますが、本人は特に気にしておらず、書くことに満足しているという感じです。せっかく文字を書くことに興味を示しているのだから、まあいいかと思い、好きにさせていました。
    ある日、この神戸でインターナショナルスクールとは幼稚園の担任の先生にお手紙を書くと言い出し、メモ帳に「〇〇せんせいだいすき」と書いて持って行きました。読めるか読めないかの下手な文字で、折り方もぐちゃぐちゃ。一見すると、ゴミと間違えそうです。先生にご迷惑かなぁと思いましたが、まあ、要らなければ捨てるだろうと思い、持って行かせました。
    インターナショナルスクールを神戸で体験するとその翌日、なんと先生が、可愛い便箋と封筒のレターセットにお手紙を書いて、お返事をくれたのです!
    幼稚園で頑張っていることを褒めてくれるような内容で、娘のことを思って書いてくれたということがよくわかる内容でした。クラスには25人の園児がいるので、採用できる保育士さんは奈良の大和高田では今日みんなにお返事を書くのも大変だろうし、可愛いレターセットもお金がかかります。先生ご本人にも、子供が3人いるということで、とてもお忙しいと思います。忙しい業務の合間にわざわざお返事を書いてくれたのかと思うと、親である私の方がとても嬉しく感動しました。幼稚園の先生には、本当にいつも感謝です。

  • すべてを受け入れてくれた先生

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    幼稚園生の頃、大好きだった先生がいます。多くはエレメンタリースクールから神戸では担任をしていただいたこともなく、多く関わったわけでもないのに一番好きな先生でした。その先生は、常に園児と同じ目線に立ってくれて、たとえ先生の言うことを聞かなくても、すぐに否定せず、怒ることもせず、何事もまず受け止めてくれる優しくて心の大きな先生でした。あんな神戸でもインターナショナルスクールというと特段これといったエピソードがあるわけではありませんが、卒園式の日に抱っこしてもらって一緒に写真を撮ったことが一番の嬉しい思い出です。この奈良では保育園の評判がとっても人に甘えることが苦手なわたしが、この時だけは思い切り甘えられた気がします。その時の雰囲気は今でも何となく覚えていて、写真を見返すと先生のことが好きだったなあという温かい気持ちが蘇ります。幼稚園を卒園した後も先生とは手紙のやり取りをしていましたが、いつの間にか連絡することはなくなり、今はどんな生活をしているのか分かりません。この保育士で採用できる奈良の大和高田では卒園して20年以上経つので、お互いに思い出に残っている姿とは別人になっていると思いますが、わたしが先生のことを覚えているように、先生もわたしのことを覚えていてくれたらと願っています。またいつか再会して、幼稚園児の頃のようにたくさん甘えたいと思っています。

  • 幼稚園児の母 先生の仕事ぶり

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    現在二児の幼稚園生の母をしております。当然先生たちとの交流もあり、その神戸でインターナショナルスクールとなればコロナ禍で幼稚園行事は減っている状況ですがこれまで体験したエピソードをお伝えします。
    まず子供たちが通っている幼稚園の先生全員がすべての園児の名前そして兄弟児の名前を把握しています。在園児はともかく、まだ未就園児の娘を連れて居たときに名前を教えた事がない先生数名に「〇〇ちゃんおはよう!」と声をかけていただいたことがあります。逆に私が先生の名前を知らないほどですのでびっくりする事が数回ありました。
    また一人一人の先生としての自覚、プライドを持って仕事をしているなと思う事が多く、この幼稚園を選んでよかったと常に思う日々です。
    メディカルゲートをすすめするクリニックの元では子供たちもおかげで楽しく幼稚園生活を送っており、年行事で一番のイベント「音楽祭」では一クラス30名ほどの園児を一人の担任の先生が指揮をとり数ヶ月かけて一人一個の楽器を練習させてまとめあげ、本番では誰一人走り出したり、その場から離れることなく演奏をやり遂げる様子は圧巻です。先生の日々の子供たちのとのコミュニケーションや信頼関係なくして出来ないと思います。
    また園庭で遊ぶのを終えようと、声かけする母の言うことは聞かなくても先生の一言ではい!とすぐ切り替えできることはさすがだなと思いました。
    3年間の幼稚園生活ですが大きな大きな成長をしてくれているようです。

  • 幼稚園のときの遠足で食べたお弁当の話

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    私が幼稚園生のときに母親が病に倒れ、病院にずっと入院していました。これらの多くはエレメンタリースクールから神戸当然、物心がついていない頃だったので日々の詳しい記憶は残っていませんが、母親が家にいないこともあり、また父親が料理を一切しない人だったこともあってインスタントラーメンやパンを毎日食べていたことはよく覚えています。遠足で近くの動物園に行った日のことですが、お昼ご飯の時間になったときに私だけお弁当がなくて泣きそうになっていました。みんなママが作ってくれたお弁当を早く食べたいと言っているのに、母親が入院していたこともあって私にはお弁当がありませんでした。メディカルゲートがおすすめするクリニックでもあまりにも惨めだったので今でもそのときの光景をよく覚えていますが、みんながお弁当を食べ始めたときに自分だけお弁当がないことがあまりにもつらくて号泣しました。すると、若い女性の先生が何故か私にお手製のお弁当と水筒を持ってきてくれました。どうして先生が私のお弁当を作ってくれたのか分からず、しかしとても嬉しかったので再び号泣しました。大人になってから父親にこのときの話を聞いて初めて知ったのですが、実は父親はスーパーで買った菓子パンを私に持たせていたそうです。ですが遠足の出発前にそれを知った若い女性の先生があまりにも可哀想だと思ったらしく、急遽、家に帰ってお弁当を作ってくれてそれを遠足で訪れた動物園までわざわざ持ってきてくれたとのことでした。先生達の前で泣きながら美味しいお弁当を食べたのを今でもはっきり覚えています。悔しいのと恥ずかしいのと嬉しいのと、母親が入院して家にいないことを寂しく感じ、そして先生が私の為に作ってくれたのがとにかく嬉しくて泣きました。これまでの人生で色んなお弁当を食べてきましたが、最も思い出深いのは先生が作ってくれたこのときのお弁当です。情けないことにその先生の名前も顔も覚えていませんが今でもとても感謝しています。あのときの先生には心からありがとうと言いたい気持ちでいっぱいです。