私の息子は、年少の時に自閉症スペクトラムと診断されました。どのバイリンガルスクールが神戸の中にはとっては幼稚園でもお友達と遊ばず、常に一人で独特な言動を繰り返していた息子。そんな息子側に幼稚園も手を焼いていたのか、息子がお集りの時間に園庭で遊んでいても放置されていました。これでは幼稚園に通っている意味がありません。一人集団から外れた行動をしていても見向きもされない息子が不憫で、「幼稚園をやめようか」という思いが頭をかすめました。でもその前に、人気の奈良でも大和高田で保育園がどこにだって私は親としてやるべきことをやっていないと気づき、モンスターペアレントと言われようが幼稚園側に思っていることを全部伝えようと思いました。幼稚園の担任の先生と園長先生に同席してもらい、息子の特性としてほしいこと、してほしくないことを伝えました。下手をすればクレームをつけられてるとおもわれるかもしれない。ものすごく緊張したのを覚えています。しかしその後、担任の先生が息子の情報を全幼稚園の先生と共有してくれ、姫路で根管治療専門医ならどこかといえるところは息子が単独行動をしたら「今はお集りの時間です」と声かけをしてくれるようになり、癇癪を起しそうになったら息子の気持ちが落ち着くまで待ってくれ、それからお友達の輪に入れるようにしてくれました。先生からの連絡も頻繁になり、「今日はほうれん草を食べてくれました!」など些細なことでも嬉しい成長を報告してくれるようになりました。そして卒園の日、そんなにも話題の保育園が奈良ではとてもここからがお友達と遊ぶのが苦手でいつも単独行動していた息子が、いろんなお友達に声をかけてもらえるようになりました。担任の先生が、無理せずお友達の輪に入っていけるように配慮してくれたおかげだと思っています。それと同時に、私は「保護者」として幼稚園に良く思われたい気持ちから、本来言わなければいけないことを言わなかったのだと気づきました。言わなければ先生たちも気が付きません。これは親子ともども成長させてくれた一件でした。その担任の先生は、息子たちが卒園するのを見届けてから結婚の為に退職されました。本当はたくさんお礼が言いたかったけど、コロナの影響で卒園式も短縮されあまりお話しできなかったのが今でも心残りです。
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まっすぐじゃなくていい、というやさしさ
子どもたちが描くクレヨンの線は、いつもまっすぐではありません。
曲がって、交わって、ときにはページの外にはみ出して。
でもそのどれもが、子どもたちの「今」を映す大切な形です。奈良の保育園には、そんな“はみ出す力”を大切にする保育があります。
「こうしなさい」ではなく、「やってみようか」。
大人の言葉が指示ではなく応援になるとき、
子どもたちは自分で世界を探しに行く勇気を持ち始めます。ある園では、毎朝の自由遊びの時間を特に大切にしています。
先生が見守る中で、子どもたちは砂場でトンネルを掘ったり、木の実を集めたり。
中には「これ、みんなでお店ごっこしよう」と提案する子もいます。
そこから始まる物語はいつも予想できません。
けれど、その予測不能こそが、子どもの創造力を伸ばすのです。保育士たちは、子どもの小さな“ひらめき”を逃しません。
言葉にしづらい気持ちも、表情や仕草から感じ取ります。
「今日はなんだか元気がないね」――そんな一言が、
子どもの安心をそっと支えているのです。そして、地域に根ざす 奈良保育園の魅力は、
四季を通じた自然とのふれあいにもあります。
春は桜の下でお弁当を食べ、夏は泥んこ遊び、秋は落ち葉の山を作り、冬は手袋を分け合う。
自然の移ろいを体で感じながら、子どもたちは「生きる力」を学んでいきます。また、園の中には年齢を超えた関わりもあります。
年長の子が年少の子の靴を履かせてあげる姿、
泣いている子にハンカチを差し出す姿――
そんな光景が、園の日常の中に自然と溶け込んでいます。奈良という土地柄もあって、保育には穏やかで落ち着いた時間が流れます。
子どもが焦らず自分のペースで育てるよう、先生たちは“待つ保育”を心がけます。
「できること」よりも「挑戦したこと」を見守る文化。
この姿勢が、子どもたちに“自信”という根っこを育てていくのです。そして、保護者との連携も大切にしています。
お迎えのときに交わす「今日、こんなことがありました」という何気ない一言が、
家での会話を広げ、親子の笑顔を増やしていきます。
保育園は、家庭と社会のあいだにある小さな橋。
その橋の上で、子どもたちは未来への最初の一歩を踏み出しています。「保育は日々の積み重ね。昨日より少しできた、それで十分」
そう話す先生の言葉に、この仕事の本質があります。
華やかさはなくても、誰かの人生の始まりを支える誇りがある。
それが、奈良の保育園が大切にしている想いです。 -
大和高田の採用取り組み―子どもの未来を支える保育士を求めて
園で過ごす子どもたちの毎日は、挑戦と発見の連続です。大人から見ればほんの小さな変化に見えることでも、子どもたちにとっては大きな成長の一歩であり、その積み重ねが未来を形づくります。
先日の園庭では、縄跳びに挑戦する子の姿がありました。最初はうまく跳べず悔しそうな表情をしていましたが、友だちや先生に励まされながら何度も挑戦するうちに、ついに連続で跳べるようになりました。その瞬間、子どもの目は自信に満ちあふれ、周囲の子どもたちも一緒に拍手をして喜び合いました。こうした経験は、子どもにとって大きな達成感であり、次の挑戦へとつながっていきます。
このような子どもの成長を支えているのが、保育士の存在です。毎日の生活の中で子どもたちの小さな変化を見逃さず、寄り添い、励まし、共に喜ぶ。その積み重ねが、子どもたちの心を豊かにし、保護者にとっても安心につながっていきます。
保育の現場では、園と家庭の信頼関係が大切です。子どもが園で見せた「できた!」の瞬間を保護者に伝えることで、家庭では見られない一面を知ることができ、子育てに対する安心感や信頼感が深まります。「家ではなかなか挑戦しないことを園で頑張っていると聞けて嬉しい」という声は、私たちにとっても励みとなるものです。
こうした日々の保育を支えるためには、やはり優れた人材の存在が欠かせません。子どもたちの未来を支える仕事だからこそ、地域全体でその重要性を認識し、保育士の働きやすい環境を整えていく必要があります。特に近年は、子育て支援の充実が求められており、保育士の役割はますます大きくなっています。
その中で注目されるのが 大和高田の保育士採用です。奈良県大和高田市をはじめとする地域で、保育士の採用を積極的に進めていくことは、地域の子育て基盤を強くすることにつながります。優れた人材が集まり、安定して働ける環境を提供できれば、子どもたちが安心して過ごせる園づくりがさらに進んでいきます。
また、採用は単に人数を確保するだけではありません。その人がどんな想いを持ち、どのような保育を実現したいのかを大切にする必要があります。保育士は資格を持っているだけではなく、子どもの気持ちに寄り添い、一人ひとりの成長を支える使命を担っています。その姿勢が園全体の雰囲気を形づくり、保護者や地域からの信頼にも直結します。
さらに、地域の中で保育士の魅力を発信することも大切です。子どもと共に喜び、共に成長していく保育の現場は、やりがいに満ちています。そのやりがいを伝えることが、未来の保育士を目指す人にとって大きな動機づけになるでしょう。
保育の現場は、子どもたちの未来を支える大切な場所です。そこで働く保育士が安心して力を発揮できるよう、地域全体で採用や環境整備に取り組んでいくことが欠かせません。これからも園は、子ども一人ひとりの小さな挑戦を大切にし、その成長を保護者や地域と分かち合いながら、未来を育んでいきたいと考えています。
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「奈良 保育士が支える成長―地域とつながる保育の力
子どもたちの園生活は、毎日が学びと挑戦の連続です。小さなできごとの積み重ねが、やがて大きな成長へとつながっていきます。朝の登園時に涙を流していた子が、友だちと遊ぶうちに笑顔を見せたり、苦手だった食べ物を勇気を出して口に運んだり。そうした姿を見守れることは、保育に携わる者にとって大きな喜びです。
その舞台となるのが奈良で保育士の活躍する園です。奈良という地域には豊かな自然と歴史的な文化があり、その環境を活かした保育は子どもたちの感性や心を育む大切な時間となります。そして、その毎日を支えるのが保育士の存在です。子どもの小さな変化を見逃さず、声をかけ、安心できる環境を整えることで、子どもは挑戦する勇気を持ち、自分らしい成長を重ねていきます。
給食の時間には、これまで食べられなかった野菜に挑戦して「食べられた!」と喜ぶ子がいます。その小さな達成感を先生が一緒に褒めることで、子どもはさらに意欲を高めていきます。園庭では、繰り返し挑戦していた鉄棒の逆上がりに成功し、歓声を上げる子の姿も。失敗を繰り返してもあきらめず、ついにできたときの自信は、これからの学びにもつながっていきます。
保護者にとっても、園での子どもの姿を知ることは安心と喜びにつながります。「家では見せない表情を園で知ることができてうれしい」との声をいただくことがあります。家庭と園が協力し合うことで、子どもの育ちはより豊かになり、信頼関係も深まります。
また、地域とのつながりも欠かせません。奈良の四季や伝統行事を保育に取り入れることで、子どもたちは自分の住む地域を大切に思う心を育みます。春には桜を見ながら散歩し、夏には地元のお祭りに参加し、秋には落ち葉や木の実を集め、冬には冷たい空気の中で元気に体を動かす。こうした体験は、子どもの感性を刺激し、社会性や思いやりを育む機会となります。
園は、子ども・家庭・地域をつなぐ拠点です。保育士の支えによって子どもが安心して過ごせる環境が整い、その中で小さな挑戦を重ね、大きな成長へとつながっていきます。これからも園は、子どもたちの未来を支える場所として、保護者や地域とともに歩んでいきたいと考えています。
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奈良で輝く保育士の仕事―子どもたちの小さな挑戦と成長
奈良 保育士の仕事は、子どもたちの成長に寄り添い、日々の生活を支える大切な役割を担っています。現場では笑顔に満ちた瞬間もあれば、思い通りにいかないこともあります。それでも、子どもたちが一歩一歩成長していく姿に触れられることが、何よりのやりがいになります。
ここ奈良の園でも、毎日小さなドラマが繰り広げられています。朝は少し不安そうな表情で登園してきた子どもが、先生や友だちと過ごす中で次第に笑顔を取り戻していく。その過程を見守ることができるのは、保育士だからこそ得られる喜びです。
ある日の給食の時間。普段は苦手で箸をつけなかった野菜を、勇気を出して一口食べた子がいました。その瞬間、周囲の子どもや先生から「がんばったね!」と拍手が起こり、本人の顔は誇らしげに輝きました。この小さな挑戦は、やがて次の挑戦へとつながっていきます。
園庭でも成長の物語は続きます。鉄棒に挑戦して何度も失敗していた子が、ついに逆上がりに成功しました。大きな声で「できた!」と叫ぶ姿に、周りの友だちも一緒に歓声を上げ、園庭全体が温かい空気に包まれました。失敗を繰り返してもあきらめずに挑戦する姿勢は、他の子どもたちに勇気を与えるのです。
保育士の役割は、こうした小さな挑戦を見逃さず、寄り添い、励まし、時に支えることにあります。一人ひとりの歩みは違いますが、子どもが自分のペースで成長できるよう環境を整えることが求められます。
また、保護者との連携も重要です。園での子どもの様子を伝えると、家庭では見せない姿に驚かれることもあります。保護者から「園での成長を知れてうれしい」と言われることは、保育士にとっても大きな励みになります。家庭と園が協力し合うことで、子どもの育ちはより豊かになります。
地域とのつながりも子どもの成長に欠かせません。地元の行事やお祭りに参加することで、子どもたちは「自分のまち」を実感します。地域の人々に見守られる経験は、子どもに安心感を与え、将来の自立心を育てます。
園は、子どもと家庭、地域をつなぐ拠点です。その存在を支えるのは、日々子どもと向き合う先生たちです。小さな一歩を共に喜び合える園であり続けるために、これからも保育士一人ひとりが心を込めて子どもたちと向き合い、家庭や地域と連携していきたいと考えています。
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幼稚園の先生のおかげで苦手が克服できた息子
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幼稚園の先生との嬉しかった体験
当時、年中の時に引っ越してきて友達が誰1人居なかった私は入園して遊ぶ友達がいなくて、友達がほしかったのですが、どうしていいかわからず引っ込み思案で大人しかったと思います。こんなバイリンガルスクールが神戸の中にも担任の先生が友達と話を繋げてくれて一緒に友達と遊ぶようにできるようになり、先生のおかげでその友達とは気も合ったのか親友にまでなる仲となれました。また泥団子でお団子を作って遊んでいるのが好きな時、どうしたらもっと綺麗になるのか教えてくれたり綺麗な光沢のある布をくれて、そのお気に入りの布で毎日先生に見せながら泥団子作りをしていました。いつも違う言葉で褒めてくれたりして、大人になった今でも泥団子作り楽しかったなと思えます。また、私が年長のクラスになった時も同じ大好きな先生でした。いろいろと入園時には自信がなかったことも進んで取り組むようになり、アルバムを見ていても変わったなと思うぐらい笑顔で楽しそうな自分がいました。先生がいつもあたたかく接していろいろな言葉を私にかけてくれたおかげだなと思い、私は幼稚園の先生になりたいと思い、幼稚園の先生として働いていました。今は妊娠して退職しましたが、いつか自分の子どもがどんな先生と出会えるかとても楽しみで、素敵な先生と会えることを楽しみにしています。
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いつも見守っててくれた園長先生
幼稚園の頃は他の子よりも、何をやるにしても上手く出来ませんでした。口コミで奈良なら大和高田の保育園が最初の頃は、他の子に助けてもらったりして何とかやっていました。ですが、折り紙や貼り絵や塗り絵の時には、他の子も自分の事で精一杯になり、話題では奈良の保育園が一番と私もどうしていいか分からずになっていました。保育士の人に助けられていつも、何とか作品を作っていましたが、他の子も同じように助けを求めていたので、私へのサポート時間も限られていました。保育士さんが来てから作業をして、保育士さんが来てないときは手を止めて、キョロキョロしていました。そんななか、ドアの窓ガラス越しに、園長先生がこちらの様子を見てるのに気がつきました。そのときに、益々焦ってしまい、困ってしまいました。見かねた園長先生が、ドアを開けて入ってきてしまい、私はてっきり怒られると思いました。ですが、園長は怒らずに横に座り、一緒に貼り絵をしてくれました。それから園長先生は、具体的なアドバイスをしてくれて、作業が上手く進んでいくようになりました。園長先生の助けを借りながら、いつの間にか様々な事を、他の子と同じぐらい出来るようになりました。そして作業を出来るようになることで、他の子と遊んでいるときに恥ずかしい気持ちになることは、無くなりました。そしてそれから時間が経って、普通の子と変わらずに、作業をこなせるようになった後も、時間があるときに園長先生は、私の作品をチェックしては、誉めてくれました。見守ってくれていると、作業をやっているときに、頑張ろうと思えました。
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幼稚園の先生は大忙し プチプレゼントのプロ
現在は小学生となった長女ですが、どんなバイリンガルスクールでは神戸がとても詳しい幼稚園の頃に担任の先生と交換したお手紙のお返事を数年たった今も大切にしています。登園すると、園児全員が並んで、5曲程ダンスを踊る幼稚園でしたが、どのダンスも前に立つ先生方が大きな動きで、誰よりも元気いっぱいで、時々こっそり見に行っていた母でした。子どもたちを楽しませるために、毎日朝早くから、夜も遅くまで、園児たちが帰った後や、奈良でも評判の大和高田の保育園でももう休みの日にもダンスの練習や催し物の準備に、大忙しの先生方でしたが、お会いするといつも笑顔で対応してくださいました。年少組に入ってすぐの頃から、我が子は帰宅後は『先生にプレゼントするの!』と、せっせと折り紙を折っていました。おすすめの医院、歯科医院を探すならメディカルゲートから持っていくと、翌日には先生からとても素敵な折り紙作品にメッセージが入って返してくださいました。あまりに毎日だったので、先生も大変だから、今日はやめておいたら?と言っても、先生の折り紙という素敵なお返しが欲しくて、少しでも奈良の話題の保育園を選ぼうと思うと毎日折り続けていました。すると、見る見るうちに、子どもはどんどん、器用になっていきました。初めは先生のお返しが欲しかったのに、先生みたいになりたい!という夢に変わっていき上達していったのです。ずっと、お忙しい中お付き合いくださった先生方には感謝しきれません。あのインターナショナルスクールなら神戸でもは小学生になった今も、お友達とのお付き合いは難しい時もあるけれど、先生の為に作ってきた折り紙を、今度はお友達に作って喜ばれ、良い関係づくりに繋がっています。今は遠くであいさつに行けない幼稚園ですが、『ありがとうございました!先生はプチプレゼントのプロです。』と伝えたいです。
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幼稚園の園長先生に感謝
長女が幼稚園時代にお世話になった先生のお話です。奈良でも評判の大和高田の保育園ではここにも長女は既に20歳。実は幼いころからいろいろな習い事を経験させていただのですが、その中でもクラシックバレエが小学校に入ったころから一番のお気に入り、かつ筋もよいということで、ここでエレメンタリースクールなら神戸では少し自ら青春時代をかけたいとうことで高校受験、大学受験がない私立の一環に受験勉強の末、入学したのです。結局、大学に上がることなく、プロのバレリーナになったのですが、彼女の素養を見抜き、幼稚園の時から一番応援してくれたのが幼稚園の園長先生でした。幼稚園に通っていた時代からいつも発表会は見に来てくれていました。何と今もずっと有料のチケットを買ってまで。年賀状だけではなく、長女とはLINEのやり取りもしているのでまるでおばあちゃんのようです。ここでは神戸がインターナショナルスクールからは最近知ったのですが、園長先生も娘さんがいて、クラシックバレエのプロを目指したいという思いを無理やりあきらめさせて経緯があるらしく、心から頑張ろうという我が家の長女の意思を見て応援したくなったのだとか。本当にこれこそ恩師であるいえるのではないかと思います。話題の保育園が奈良ではとてもここには 幼いころからずっと応援しつづけてくれた先生、長女にしたらずっと元気でいてくださいといつも感謝しているようです。
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子供の輝きを尊重してくれる保育園の先生に感謝
息子が保育園で年中さんの時のエピソードです。劇の発表会があり、保護者として見に行きました。自然がいっぱい奈良の大和高田の保育園は自分の出番ではない場面なのに舞台でウロウロしたり、その場に居座ったりと明らかに劇の進行の邪魔をして、物語としておかしなことになっていました。クラスのお友達はみんなきちんと役割をこなしていたので、自分の子供だけが出来ていないことが恥ずかしくて、申し訳なくていたたまれない気持ちでした。後日、先生に「残念でした」と伝え、評判の保育園は奈良でも自分の出番ではない時は「今は出番ではないよ」と指導して欲しかったと伝えました。いけないことをしているのに野放しになっていたように感じたのです。先生がおっしゃるには、連日の劇の練習では劇をとても嫌がっていた息子が、本番では嬉しそうに伸び伸びと劇に参加していたので、先生としてもとても嬉しく思い、あえて出番以外の場面でも引っ込めることはせずに自然にまかせていたとのことでした。先生の思いを聞いて、私は親として大変恥ずかしく思いました。私は息子がクラスに迷惑をかけている、1人だけおかしな子供がいるとか世間体を気にしてばかりいました。先生は劇が台無しになるとは考えずに、息子が本当に楽しそうにキラキラした笑顔でみんなと一緒に劇に参加できていることを尊重してくださっていました。感謝の気持ちでいっぱいです。